2012年3月28日水曜日

「支持政党なし」の急増について(まとめ)


月刊「公明」4月号の記事の中で、大きな共感とともに大変感動したのが編集部による上記の記事でした。
自身の勉強のために、その内容をまとめてみました。



国民の”政党離れ”が、話題になっている。
 「支持政党なし」については、時事通信社の世論調査結果によると68.2%と遂に調査開始いらい最も高い水準に。国民の7割近くが支持する政党がないという事態は、まさに政党政治の危機。
 1960年当時、無党派層とも呼ばれる「支持政党なし」は1ケタ台だった。その後、6270年は10%台、7175年は20%台、76年から94年前半までは30%台で推移したが、94年後半になると、「支持政党なし」は一気に50%台にまでハネ上がった。
 その後、50%台の「支持政党なし」が常態化する中で、2009年9月の民主党政権発足直後は43.9%にまで下がった。無党派層の一部が民主党支持に回ったためと見られたが、その後の鳩山、菅、野田と続く歴代民主党政権の迷走、失政の中で、「支持政党なし」は再び50%台へ逆戻りし、今年2月の調査では遂に7割近くまで膨れ上がってしまったのである。

 そもそも政党とは何か、政党の果たすべき機能・役割とは何か。
政治学の教科書をひもとくと、まず第一に「利益集約機能」が挙げられる。「利益集約機能」とは、社会内部の個人や集団の多様・多彩な利益・要求・意見を受け止め、吸収し、集約して政策や方針にまとめあげる機能を言う。民意を代表する機能とも言える。
 これについて、イギリスの政治思想家、E・バーカーは、「政党は、一方の端を社会に、他方の端を国家にかけている橋である」と表現している。
また、イタリアの政治学者、ジョヅアンニーサルトーリは、政党について「全体のなかでの部分であるが単なる党派ではなく、国民を代表し意思表明するチャンネルである」と説いている。
さらにイギリスの哲学者にして政治家だったエドモンド・バークは、「政党とは、ある特定の主義または原則において一致している人々が、その主義または原則に基づいて、国民的利益を増進せんがために協力すべく結合した団体である」と。
 三人の政治学者の見解を要約すれば、政党とは同じ考えの者が集まって結成する集団であり、政党は「社会と国家の架け橋」との言葉に象徴されるように民意を政治に反映させる「パイプ役」を果たしていかなくてはならないが、このような政党の定義や政党の果たすべき機能・役割に照らして考えると、民主党という政党は、政権与党でありながら、「全く政党としての体をなしていない」と断ぜざるを得ない。
 なぜなら、民主党は、政権獲得だけが目当てで集まった主義主張や理念がバラバラの寄り合い所帯であり、いまだに党の綱領さえ作れない。ごった煮政党だからだ。

片山善博・慶庖義塾大学教授(元鳥取県知事)は、次のように言っている。
「日本の政党というのは、所詮は現職の国会議員の集まりなのです。地方では県会議員の集まり。党員がいない政党ですから、これを変えなければ国政でも地方政治でも真の政党政治の実現は困難です」
 県知事経験者ならではの鋭い指摘と言えるが、われわれは今まさに公明党の真価を発揮する時であると受け止め、決意を新たにしていきたい。
公明党は、地域にしっかりと根を張り、党員、支持者の皆さまの手弁当の奮闘に支えられて今日まで戦い抜いてきた。与党の立場にあろうと、野党の立場にあろうと「大衆とともに」の立党精神はいささかも変わらない。

 毎日新聞コラムで岩見隆夫氏は、「新党は目新しさから期待感が生まれるが、離合集散を繰り返す(うたかた政党)には、真の民意をつかむセンサーは備わっていないし、地域のニーズをつかめるわけがない」と。続けて、「党歴の古い順から共産89年、自民56年、公明47年、社民16年、民主15年と続く。すでに解党、改称して消えたのは社会50年、民社35年、社民連16年、新自ク10年などである。あとはみんなの党、国民新党など現役7党、消えていったのは新進党、新党さきがけなど数が多すぎてすぐに勘定できない」と書いている。
 これまで多くの政党が浮き草のごとく生まれては消え、離合集散を重ね、淘汰された政党も少なくない。その中にあって、半世紀もの間、風雪を乗り越え、時代とともに歩み、政党としての一貫性を貫いてきたことは公明党の大きな誇りである。

公明党は、「地方と中央がネットワークで結ばれた“政党らしい政党”」(河村和徳・東北大学大学院准教授)、「公明党の真面目さが崩壊しそうだった国会を救った」(政治評論家の森田実氏)との期待や励ましに何としても応えていかなければならない。どこまでも公明党らしく、政治の信頼を取り戻す戦いに果敢に挑戦していこうではないか。

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