2011年5月10日火曜日

三車火宅の譬え


古代インドのたとえ話です。


あらすじ…
ある町に長者がいた。
あるとき長者が外へ出ているときに、その家に火事が起こった。
火事と聞いて長者が家に帰ってみると、燃えさかる家の中で子どもたちが何も知らないで遊びに戯れている。このままでは、子どもたちは焼け死んでしまう。
長者は「おーい、早く外へ出なさい!そこにいると焼け死んでしまうよ!」と叫ぶのですが、子供たちは耳を貸しません。
「いっそ力任せに全員を台車に乗せて運び出そうか」とも考えますが「いや、それでは暴れて落ちて焼け死ぬ子が出るかもしれない」と、全員をどうやったら救い出せるかを考えます。
そのとき、長者は、子どもたちが日頃から欲しがっていた羊車・鹿車・牛車を思い出す。
「火宅から出て来たら羊車・鹿車・牛車あげるぞ」と言って外に誘う。 子どもたちは喜んで、火宅から走り出してくる。
長者は喜び、子どもたちに羊車・鹿車・牛車ではなくて、さらにもっとすばらしい大白牛車を与える。
こうして子供たちは今にも燃え落ちそうな火宅を逃れることが出来たという話です。

福島第一原子力発電所に関する一連の報道を見ていて、上記のたとえ話を思い出しました。
福島第一原発は、現在でも、「熱、放射能、水素」の三つの脅威は去っていないわけで、一歩処理を誤ると、破局的事態に至る可能性があります。
まさに、燃えさかる家ではないでしょうか。そして危機感の薄い対応で納得してしまっている国民ってまさに・・・

大白牛車が何なのかと言う議論は置いといて、政府は今こそ国民が「そうだ!」と納得して自ら動き出すような政策を打ち出すべきではないでしょうか。景気対策しかり、新たな雇用創出しかり、新エネルギー産業の奨励しかり、さらには将来に安心が持てるように社会福祉の方向性をきっちりと明示するなど、やるべきことはいくらでもあります。
そうした意味で、一刻も早い中身のある2次補正が待ち望まれます。

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