2011年6月7日火曜日

ラジオ番組

今日、久しぶりに夫婦でラジオ番組を聞きました。

工場で勤務していたときは、職場ではラジオをかけていたのですが、それ以後はラジオというものと全く無縁でした。
机の引き出しの奥から埃にまみれたラジオを引っ張り出し、おそるおそるスイッチを入れてみるとちゃんと音が出ます。
アンテナを伸ばして、チューニングを回します。「ジー、ジー、」という雑音の合間に人の声や音楽が聞こえてきます。
最近では、ラジオどころかテレビもほとんど見ることもなくなり、もっぱらパソコンの前でネットに向かう生活をしています。
ですから、私の中ではラジオは完全に忘れ去られた存在でした。しかし、そんな私のまわりでもラジオの電波は流れていたんです。
アンテナを立てて、チューニングを合わせるという儀式を行えば、ちゃんと聞くことができました。
それだけで、少し新鮮な感動を覚えました。

音だけの情報伝達手段。画像も動画もありません。耳だけが頼りです。
その場面や情景は、自分の頭の中で描き出します。
思えば、学生のころ自分の部屋にあったのもラジオでした。トーク番組や音楽番組を夢中になって聴いたものです。翌日学校に行って、友達との話題はその内容でした。音楽だって、音質はクリアではなく雑音だらけなのに、必死になって聞いていました。

今日、久しぶりに聞いたラジオの番組で、ダ・カーポが歌う「野に咲く花のように」が流れていました。
やはり、クリアではない音質でしたが、その曲を聴いていてそんなことにいろいろと思いをめぐらせていました。
一説によると、人間の五感の内で最も鋭いのは聴覚だと言います。眼や口はふさぐことができますが、耳だけはふさぐことができません。
本人が望むと望まざるとに関わらず、いろんな音が常時入ってきます。
先日もあるテレビ番組で、商店での呼び込みの声やエレベーターガールの声を科学的に分析して、それを聞いている人に対する効果を検証していました。逆説的になりますが、それを悪用して詐欺師なども、話の論理性よりも声や響きを利用して相手を信じ込ませたりするそうです。第三者からすれば、普通なんでそんな話に騙されるかなぁと言った話でも、完全に信じ込まされてしまったりしてる場合がそれですね。

最近ではスマートフォンなどネットの急速な普及により、人と話したり聞いたりすると言うことが、どんどんと減ってきていますが、今日のラジオ番組で、「聞く」と言うことの大切さを実感しました。

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