2011年12月3日土曜日

読書感想―「官僚制批判の論理と心理」


「多くの人が福祉社会を志向しているにもかかわらず、それを支えるはずの行政への不信が蔓延している。」
帯に書いてあったこの一文を見て、思わず購入し一気に読んでしまいました。

読了した感想としては、大学の講義を聴いているような理論の展開で、それはそれで非常に楽しくて勉強になりました。
基本的に、政治思想の変遷の歴史を解説されています。トクヴィル・カフカ・ハーバーマス・シュミット・アーレントなどの歴史的政治学者の理論を辿り、ウェーバーの官僚制論を現在との関連として検討して結ばれています。
かなり専門的、学術的な内容なのですが、その一つ一つが現在の政治状況に対して多くの示唆を与えていることにとても驚きました。

そして理論の方向性としては、「官僚制は民主主義の基本的条件であり、擁護されなければならない」という姿勢です。
『もちろんデモクラシーの名のもとで「悪」としての官僚制を批判するという議論の仕方には、硬直化し、画一化しがちな行政の論理を揺るがせ、政治的な討論に導いてゆくという意義と可能性があることは事実である。しかしそうした議論の仕方は、デモクラシーが存続するために必要な条件すら、破壊してしまう危うさをも孕んでいるということも忘れてはならないのである。』(本文より)

また、不況が続いたりして官僚批判が進むと、カリスマ的な強いリーダーが望まれるようになる現象に対しては、以下のように分析しています。
『 カリスマ的支配とは、カリスマ、つまり非日常的な天与の資質、あるいはそうした資質をもっている人に対する大衆の情緒的な帰依を根拠にした支配である。このときの資質は、神がかり的な預言でも、卓越した弁論能力でもよく、その具体的な中身は、多様でありうる。ただカリスマは、被支配者からカリスマとして承認されることによってカリスマとなり、そうした承認が続くかぎりでのみカリスマである。したがって、カリスマは、戦争での勝利などというかたちで成果をのこし続けなければならず、また勝利が連続すればその威信は高まることになる。しかしそれができなくなると、その支配はきわめて容易に崩壊する。
懐疑的な検討を加えられると弱いという点では、カリスマ的な支配も伝統的支配と同じである。ただ、伝統が長期にわたる継続性によって一定の安定性をもつ一方で、カリスマはそうではないので、その支配の正当性はいっそう脆弱といわなければならない。カリスマとされる政治家はしばしば継続的かつ矢継ぎ早に「改革」を行おうとし、またスピードとサプライズを好む傾向をもつが、そこにはこうした事情がある。』

更には、最近の政治的主流となりつつある新自由主義(小さな政府)に関しては、次のように述べています。
『「後期資本主義国家」においては、市場原理という意昧での形式合理性は貫徹できず、何らかのかたちでの実質合理性(格差是正、「国土の均衡ある発展」、あるいはナショナル・インタレストといった観点)が侵入せざるをえない。こうしたなかで官僚制の正当性を問いただそうとする試みは、理論的に割り切れないがゆえの不満を慢性的に醸成する傾向にある。
政府は余計なことはしないほうがよいという新自由主義(「小さな政府」)は、こうした不満に応える有力な立場の一つである。あるいは別の言い方をすれば、こうした「正当性の危機」とそれに由来する不満は、新自由主義によって絡め取られやすい。』

そしてそうしたグローバル化への急激な傾斜に対し、トクヴィルの「すべてが新しい社会には新たな政治学が必要である。しかるに、そうした考慮がほとんどなされていない。われわれは急流の真っ只中にとり残され、岸辺になお見える残骸にかたくなに目を据えているうちに、流れにひぎこまれ、後ろ向きのまま深淵に向けて押し流されているのだ。」との言葉を引いて、
『かつてトクヴィルが急流に流されながらも、なんとか岸辺に目を向けようとしたように、あるいはウェーバーが非西欧の諸宗教に取り組んだように、人間の生の別様でもありうる可能性を確保しようと試みることは、少なくとも流れのスピードを遅らせ、時間をかせぎ、またわずかでも反転させるスペースをかせぐことにはなる。逆にそうした比較類型論を放棄するならば、勝ち馬にのろうとするインセンティヴを強化し、速度をアップさせてしまうことにもなりかねない。』と、結論付けされています。

この本は、本年9月に発刊されたものであり、3・11以降の日本の政治状況については論じられていますが、当然、この数日来の大阪で起こっている現象は予測すらされていません。
しかし、私の住む池田市においては12月に市長選も控えており、いまだに急流の渦中であります。こうした現象を面白おかしく眺めている方々もおられます。
しかし、一過性の現象に右往左往するだけでなく、これからの政治のあり方をしっかりと見据えてしっかりと議論をする必要があると私は思っています。ですから、今の私にとって、この本は非常に有益であり、勉強になりました。

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